東急グリーンシステムについて

会社沿革

創業者について

1901年 9月21日 造園家高村弘平(弊社創業者)は10人兄弟の四男として山形県に生まれる
1915年 3月 東京府立第三中学校(今の両国高校)に進学するも兄の都合により2年間で帰郷することとなる。しかし、この2年間の体験が造園設計家高村弘平の感性に与えた影響は大きく、例えば、後にコインや切手のコレクターとして収集家の間でも有名になるが、そのデザインが物語る歴史や地理に深く興味を持ち、自らその背景を調べることで見識を深めていった。独自の観察力や探究心の芽は、この頃に育まれた
1926年 4月 東京高等造園学校(昭和17年東京農業大学に統合)に入学、林学博士上原敬三に師事(日本の造園学の先覚者で人間が森を作るという国家プロジェクトである明治神宮の外苑建設に参画した。当時37歳)。 弘平は、当初、造園の道を選んだことに悩みながらも新しい学問の分野にのめり込んで行った。この時期が将来を決定付ける転機となる
1928年 4月 五島慶太が経営する遊園地㈱多摩川園に入社
1989年 9月28日 88歳で、その人生の幕を閉じる。当時の弊社社長澤村は、葬儀の際の弔辞の中で「高村さんは人の期待を裏切るような仕事は決してしない方でした。また、義理人情にも厚く人間関係を非常に大切にする方でもありました。」と述べている。これは仕事をするうえで非常に大切なことで、東急グリーンシステムの行動指針と言っても過言ではない
※五島慶太との関わり
五島慶太は東京急行電鉄グループの創始者にして初代総帥で私鉄王とまで言われた財界人。この㈱多摩川園への入社が弘平の東急との出会いとなる。その後、五島総帥をして「東横関連の造園の仕事はすべて高村にやらせろ。」と言わせしめるほどの信頼を得、勢い弘平の仕事に関する勉強も幅を広げていった。戦後、東急の積極策の一つであったレクレーション施設の建設にかかわり、昭和27年より二子多摩川園の増開設を受け持った。この仕事で弘平は、日本一を求める五島総帥の気迫から多くのものを学び造園家としての名を成し五島家との絆を深めた

会社について

1955年 3月10日 高村造園㈱設立。高村造園の立役者山崎正巳との2人からのスタート。土地区画整理法、都市公園法、自然公園法など三法が制定され造園行政の後押しで業績は倍々で伸び、昭和38年には売上が1億円の大台に乗った
1971年 7月28日 事業規模の拡大や後継者の問題などから東急グループの傘下となる。このとき専務取締役として当時スリーハンドレッドクラブのコース部長であった宮沢長平が着任した。日本列島改造論などの機運に乗り、その後10年で売上は16億円に達するほどになる。(社員約50名)
1992年 4月1日 東急グリーンシステム㈱に商号変更。東急グループとの関りを一層鮮明に打ち出しグループ貢献の度合いを深める一方で、グループ外の顧客に対しても東急グループの一員であることの誇りと責任をもって従来にも増して、その便益に資する姿勢を表した。以後、暫らく事業の中心は、ゴルフ場や公園等施設の建設などとなるが、その舞台は全国に広がり名だたるコースの設計、施工を手がけた。その後、建設だけでなく緑への関わりをトータルで深めることを目指しゴルフコースのメンテナンスや植栽管理に積極的に関わるべく事業を展開する
1998年 4月 もてる技術と経験をより社会に役立て環境グリーンの維持に深く関る事業を求めていた弊社は、従来より要望のあった一般住宅の植栽に着眼し戸建分譲住宅の外構植栽工事の市場を新たな事業のフィールドとして踏み出すこととした。街づくりの提案から個宅の外構植栽工事の設計施工まで、時代を捉えた企画提案そして品質を提供し多くの事業者様の信頼をいただくまでに育った
2013年 4月1日  「人と技術が品質を作り顧客に貢献する。」という基本を再確認し、先の20年を見据えたスタートを切る。次のステージでは、約60年に亘る経験から得たノウハウを新旧事業に活かし「選ばれる会社」を目指す
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